2025年04月14日

【新刊電子書籍】絆、つながる/結城あや

絆、つながる/結城あや
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母親の経営するカフェを手伝う娘が出会う人々との
※本文より。
 2021年、12月も半ばが過ぎてクリスマスムードが盛り上がっていたころ、友だちと買い物に出掛けていたわたしは地元の駅に戻ってくるのが少し遅くなっていた。そう、夜11時に近かったと思う。
 JR総武線の新小岩駅。
 南口を出て駅前の信号を渡ってアーケードの商店街「ルミエール」を抜けて行くのがいつものルートだ。商店街の手前にはロータリーがあって、その真ん中には楕円形の中州のような場所があり、交番、公衆トイレ、喫煙所、いくつかベンチが並んだ広場になっていて、駅から商店街へ通じる通路もそこにある。
 普段と同じように、いや、ちょっと時間が遅くなったことで帰宅後母に小言を言われそうで少し焦った気持ちでロータリーの手前で信号待ちをしていたわたしの耳に、ジャカジャカっとギターを掻き鳴らす音、そして歌声が聞こえてきた。
 ロータリーの中州の広場では年に数回、イベントが行われることもあるが、時間的にそういったものとは考えられず、なによりイベントらしき気配がない。
 信号が変わり中州へ歩いて、交番の前をすぎたところで、広場の、通路から一番遠いベンチに座って弾き語りをしている男の人がいるのが見えた。
 屋外だし距離もあるので個人的にはかまわないと思うのだけれど、顎マスクでかなり大きな声で歌っていることにはちょっと驚いた。
 聴いたことのない曲なのはオリジナルなのか、それともわたしの知らない古い曲なのだろうか。古いと思ったのは曲調がどこかで聴いたことのある昔のフォークソングの印象があったからだ。
 それにしても、新小岩でストリートライブとかする人がいるんだ、という気がした。
 快速線も停まる駅ではあるけれど、大きなショッピングセンターや娯楽施設があるわけでもなく、わざわざこの駅に来るという場所ではないから駅前で弾き語るのであれば、近場なら錦糸町を選ぶだろう。それにこの時間だ。おそらく地元の人なのだろう。
 弱いが北風も吹いていて立ちどまって聴くという気分にはならない。ベンチにもその人の他には人影はなく、その人の周りにも人は居ない。強いて言えば透明なアクリル版で囲まれた喫煙所に駅から出てきた何人かが入って行ってちょっとした人ごみにはなっていたけれど、その人は足早に通りすぎる人や喫煙所の人たちに向かって歌っているのだろうか。ギターケースの蓋が開いているのは投げ銭を期待しているのだろうし、聴いてほしいのだと思うけれど、季節も時間も無視した行為のように思われた。
 そしてわたしも通りすがりに聴きながら、商店街へと入って行った。

 大学が休みに入るとさっそく母が、自分の経営するカフェを手伝うように言ってきた。父が事故で亡くなってから開いた店だ。開店当時からわたしもできるだけ協力してきた。もっともいまでは常勤のウェイトレスもいるので、わたしがでしゃばることも少なくなってはいる。それでも夏休みなどの長期の休みの期間はほかでバイトするよりは母の店で働くことにしている。
 カフェは江戸川区総合文化センターに近い、親水公園に面したマンションの一階にあって、母の作るレアチーズケーキとカレーが人気だ。
 文化センターに隣り合わせた私立高校の女子高生たちもケーキを目当てに通ってくれている。
「響歌、テラスのテーブル、綺麗にしておいて」
 開店準備をしていると母がカウンターの中から言う。カレーの香りが漂ってくる。響歌というのはわたしの名前だ。
 店の中はカウンターとテーブル、そしてテラスにもテーブルがふたつある。寒い季節になるとテラス席を利用する人も減るが、飲食店で換気が重要視されるいまのご時世では却ってテラス席のほうが人気だったりもする。
 布巾にアルコールをスプレーしてテーブルを拭いていると、店の向かいの親水公園に沿った道を歩いていた女性が目に留まった。
 毎日というわけではないが、よく見かける人だ。
 親水公園を散歩コースにしている人はけっこういて、見慣れた顔も多いのだけれど、この人は特に印象に残る。というのも公園に植えられている樹の前に立ちどまって、樹に話しかけたりしている姿をよく見かけるのだ。一方的に話しかけているというよりは樹と会話をしているように見える。髪は白髪も目立って中年というよりは初老のような印象も受けるのだけれど、なにかスピリチュアルな人なのだろうかと思ったりする。
 今日も桜の樹の前に立ちどまってなにか話しかけている。
 ニコニコと微笑みながら樹と会話しているのをなんとなく可愛いなと思いながら、テーブルを拭き終えた。
「おはようございます」
 ウェイトレスのさくらさんが出勤してきた。開店まで二十分ほどだ。わたしもカウンターに入って細々とした準備を片づける。
 十時の開店時間と共に現れるのは、常連の男性と決まっていた。
 ダディの愛称で呼ばれているこの人は、以前はバンドやスタジオで活躍していたサックス奏者で、いまは引退していて、年に数回この店で気楽なライブをしてくれている。
「おはよう。コーヒーを頼みます」
 上品な紳士という雰囲気だけど、昔を知る人の話だと若いころはステージでも派手で、女性にもモテていたという。いまでも店に若くて綺麗なお客さんがくると怪しい目つきで見ていたりする。
 ほかに午前中の常連さんは、散歩の途中に休憩していく年配の男女が二、三人。それぞれコーヒーや紅茶の飲み物だけで、さくらさんがいれば問題はなく、母はカウンターの中でランチの仕込みに専念している。わたしも開店準備を手伝った後は休憩してランチタイムにお店に戻る。
 エプロンを外してお店の前に出ると、さっきの初老女性がまだ樹と話していた。その横を保育園の園児たちが先生に先導されながらなにかの歌を唄いながら通っていく。なんとも微笑ましい風景で、こちらも自然と笑顔になる。園児たちが通りすぎると、初老女性は影響されたのか、樹に歌を聴かせていた。その姿がとても可愛くて、わたしはまた笑顔になった。
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Posted by YOUKIAya at 22:21Comments(0)涼風家の電子書籍